7年前、姉の引退試合になってしまった試合を観戦して、大学に入ったらラクロスをやろうと決めた。
関東FINAL4、序盤はリードを許し厳しい試合だったが、後半は流れをつかみ、
終盤に姉の得点で試合は振り出しに。
しかし、試合終了直前に相手の得点で敗北した。
スコアはたしか5-6
初めて見るスポーツ、緊迫した展開、会場の熱気、それはまるでマンガの世界にいるようだった。
試合終了後、初めて姉の涙を見た。
スタンドに向かって挨拶をしている姉の勇ましい姿を見て、
そしてなにより、ラクロスという競技の魅力を感じて、
自分もこのスポーツをやると、そして自分がこの舞台に立って姉のように点を取ると、心に決めた。
大学進学が決まると、ラクロスをやろうと思っているという友達と一緒に
女ラクとの違いもあまりわからぬまま、姉のクロスを借りてパスキャをしていたりもした。
大学に入学して、勉強のことなんてなにも考えないままラクロス部の新歓ブースへ行き、
伏見のグラウンドに通う日々がスタート。
思い描いていた華々しい生活とはかけ離れていたが、
純粋にラクロスが楽しくて、ラクロスが好きで、のめりこんでいった。
しかし、ウインターの直後、ラクロスから離れなければいけないことに。
上手ではないことは自分でも分かっていたが、
君ではダメだと言われた気がした。
誰も責めることはできない。誰が悪いということでもない。
そんなことは、分かっていた。
悔しくて、苦しくて、
ただ単に、真っ白な日々を過ごした。
そんな俺を救ってくれたのは、同期の活躍だった。
サマー、ウインターと優勝を逃し、最後の新人戦。
あすなろ優勝。
ツイッターのタイムラインを何度更新したか、
いいねをいくつのツイートにしたか、
その場に立ち会えなかったことを、どれだけ悔しく思ったか。
いまでもはっきり覚えているのは
何の音も聞こえない部屋の端のベッドの上で、涙を流していたこと。
そして、体中の細胞に火がついたかのような感じがした。
その日を境に、みんなも頑張っている。
と、生きる希望のようなものをもらった。
その後、スタッフとして復帰しないかといわれ、みんなに恩返しでもとしようと快諾した。
プレイヤーとは全く違う世界で、4年になった今でも、正解がわからなくなる時があるし、理想とはかけ離れている。
それでも、スタッフという立場で復帰したことを後悔したこともなければ、することもない。
中学生のころから、ラクロスをすると聞かされていた、姉や家族はどんな風に思うのだろう。
姉のように活躍することをずっと楽しみにしていてくれていたかもしれない。
だからこそ、輝いてみせる。
もっといい景色を見せてやる。
ラクロスをやろうと決めたのは自分。
引退まで、投げ出さずにやり切れればいいなんて思ったことはない。
今は、マネージャーとして、目の前のことに責任を果たす。
それが、ラクロスに対してのけじめだ。
シーズンも終盤にさしかかり、いろいろ考えてやっと思い出せた。
同じような毎日だけど、きっと単なる繰り返しではないこと。
そして、俺はラクロスが大好きでたまらないということを。
だからこそ、各チームこれから続く負けたら終わりの試合。
1試合ずつ、一緒に、全員で勝ち進んでいこう。
俺だけが味わえていない、「青木組の優勝」へ
WAVE
MG 齋藤 優太朗