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2020

〜巧より強たれ〜『一言で変わった一年』池上太一




自分にとって初のAチームでの公式戦が三日後に控えている。




実際はその数日前にこうして文章を綴っているのだけれど。




それでも自分の中にある昂った感情を感じる。







ここまでの道のりはとても長かった。









1年生の新人戦では試合にこそ出してもらえていたが、




個人としても、チームとしても結果は出なかった。





2年生の頃は一時、Aチームでプレイをさせてもらえる機会もあったが、




怪我もあり試合に出ることはほとんど叶わず、




チームが全学で優勝する瞬間を眺めているだけでシーズンが終わっていた。





3年生の頃にも怪我をし、出場した試合は数試合、




Bチーム幹部として貢献度はしたものの、




試合の緊迫感やワクワクを感じることなくシーズンを終えた。







考えてみれば、




1年生のころはちょっと面白そうだったから始めたっていう決意の甘さも相まって、




毎朝起きるだけでしんどくて、『やめてえ。』とか思っていたり、





2年生のころは怪我をしてチームに対して何もできない自分に嫌気が差したりしていた。




『なんで毎朝リハビリのためだけに東伏見に行ってるんだっけ。』とかそんなことを思っていた。






3年のシーズンが終わった時が




自分にとってのターニングポイントだった。




それは怪我の状態を考えてプレイヤーを続けるのか、




それとも学生コーチになるのかという決断だった。







学年ミーティングで同期の前で一度決心をして話したのを今でも覚えている。




シーズンが進んでから怪我が悪化したらチームに迷惑をかけないだろうかとか、




学生コーチでも自分が出せる価値があると思ったこととか。






その時期の自分は完全に




プレイヤーとしてこのシーズンを過ごすことを諦めていた。




それでも自分のことが必要だからと止めてくれた人たちには




本当に感謝している。







特に、『プレイヤーとしてチームを救ってくれると思う』




って言ってくれた奈須の言葉は絶対に忘れない。




彼はそんなことを言ったの覚えていないと思うけど。




間違いなく、あの時のプレイヤーとしての自分を救ってくれた一言はこれだったし、




この一言で自分のラストシーズンなるものの意味合いは




大きく変わった。







4年生になった今、




自分はAチームのオフェンス陣の一員としてプレーしている。




今年こそは、と思っていた矢先、




未知のウイルスの影響で練習できない日々が続いた。




自分たちが目標としていた『全日本選手権での優勝』という目標は




挑戦することすらできない状態になってしまった。








しかし、自分たちにはどうしようもない環境の中で、




協会をはじめとするいろんな人の協力があって、




特別大会が開催することができる。




本来であればできないはずであった試合や練習ができるようになったことがまず奇跡だ。




大会開催に関わってくれている全ての人に感謝します。









自分がやるべきことは




この4年間の全てをこの大会で出し切ること。




正直、試合が楽しみでたまらない。




毎朝5時58分着の電車で通って身に付けた技術も、


ミーティングで得た知識も、


キツかったフィジカルでついた体力も、


この部活で共に頑張る仲間たちの思いも、


あんまり普段感謝を伝える機会もない家族への思いも、


自分のことを応援してくれていている友人たちへの思いも。






全てを出すためにあと3日、最高の準備を。










MF(#31) 池上太一



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