幼い頃から負けず嫌いだった。
遊びの野球やサッカーでも勝たないと気が済まなかったし、
国語の暗唱はクラスで一番に終わらせたかったし、
巨人が負けていると、7回くらいから泣き出してテレビを消していたらしい。
そんな自分は高校までは野球に打ち込み、
大学で早稲田ラクロスを選んだ。
野球を辞めてまで取り組む明確な理由はなかったし、正直日本一に強くこだわっていたわけでもない。
でも、仲間と一緒に勝利を目指せる環境は自分には合っていると思ったし、無限の可能性を秘める新しい競技への挑戦にワクワクしていた。
しかし、現実は違った。
入部早々に怪我をして気落ちしている間に同期に置いていかれ、
復帰しても、
想像以上に当たりが激しい。クレードルは難しい。ホットやセカンドはなんのことかわからない。
お世辞にも好きなスポーツとは言えなかった。
そんな状態の自分は、1年生の時はほとんど試合に出られず、2年生はCチーム。
とても苦しい時間が続いた。スポーツを始めてから1番の挫折だったと思う。
その時の自分は、編成でCチームと発表されても、順位が下がっていても、練習試合に負けても何も感じなくなっていた。
なにがなんでも勝ちたいという負けず嫌いな性格はどこかへ消えていた。
自分はチームに貢献できていない。なんのためにラクロスをやっているのか。
選手を辞めるか、部活を辞めるか。
何度もそんなことを考え、悩み続けた。
それでも、意地みたいなもので部活を続け、自分なりにもがき苦しみ迎えた3年生の夏。何かの巡り合わせでAチームに上がった。
準備など、できてはいなかった。
周りのレベルは驚くほど高かった。
Aチームの同期を見て、本当に同時期にラクロスを始めたのかと疑った。
ラクロスへの熱量に圧倒された。
でも、ここしかないと思って、毎日必死に食らいついた。
下手くそなりにもラクロスを続けてきた自分に訪れた、最初で最後のチャンスと思って。
そんな日々を過ごす中で、自分にも変化が起こり始めた。
少しでも上手くなりたい。試合に勝ちたい。
そう思うようになった。
なくなっていた負けず嫌いが自分の中に再び芽生えてきた。
ラクロスに本気で向き合えるようになった。
熱量高くラクロスに取り組む環境が、一緒に練習に取り組む仲間が、
自分を変えてくれた。
負けず嫌いで、熱い自分に。
そして最終学年の今、
日本一になりたいという強い想いを胸にラクロスをプレーできている。
あれだけ苦しかったラクロスを楽しむことができている。
ボックスから仲間のプレーを見守る瞬間、自分がボックスから出ていく瞬間、みんなで一体となって勝利を喜ぶ瞬間、その一瞬一瞬が堪らない。
この緊張感、喜びを、仲間と共に味わうために早稲田ラクロスに入部したのだと改めて実感する。
ラクロスは、自分にとってはとても難しいスポーツだった。
何度も心が折れそうになったし、何度ももういいかと思った。
でも、野球を続けていたらきっと味わえなかっただろう感情を味わえたし、出会えなかっただろう仲間にも出会えた。
ラクロスを始めて、そして、続けて良かった。
こうした気持ちになれるのは、日々支えてくださるコーチの方々、先輩方、後輩、そして、同期のおかげ。
特に、早実こーや組とまた四年間一緒にプレーできたことはとても嬉しかった。
やえはダッジを切ったらいなくなるし、
阿曽がいないとDFが成り立たないし、
米津は1年生を優勝に導くし、
そして、高校時代から切磋琢磨してきた兄貴とは同じポジションで試合に出られているし。
誘い合って入部して、本当に良かった。
潟田とりゅうせいと、Cチームの時から慰め合ってやってこれたのも良かった。
同期の存在は、自分にとってとても大きい。
明日は立教戦。
日本一を目指して戦える環境に感謝をし、今に集中する。
支えてくれる仲間、応援してくれる仲間がいるから戦える。
スタンドからの応援は、物凄いエネルギーになる。
去年ずっと一緒だったみずきを始め、苦しい時期も励まし合って共に乗り越えてきた4年生がくれる声援は本当に心強い。
その仲間の分まで、
その仲間と一緒に。
グラウンドに立つ自分たちができる恩返しは、
責任あるプレーをして、
勝つこと。
4年間の早稲田ラクロスの集大成、
いや、
16年間の学生スポーツの集大成。
まだまだ上手くなりたいし、慶應にリベンジしたいし。
ここまでチームを引っ張ってくれた、誰よりも熱い主将の胴上げも。
そのためにも、
まず明日、
自分を変えてくれた仲間と共に、
負けず嫌いを前面に出し、
勝ちにこだわり、
勝負を楽しむ。
齋藤組として積み上げてきたものへの誇りを胸に、
もっと上を目指せるという謙虚さを忘れずに、
全員で。
1Qから圧倒。
PUMP
MF(#99)江本達彦