大橋です。
最後の練習で顕造がしみじみとした雰囲気で握手を求めてきました。
そう彼との出会いは大2の秋。海外から颯爽と現れ、パスキャを教えていた顕造が今ではチームメイトになりました。
さて次回は
・植村、痛風再発
・石津、「つ」に「〝」と間違えられ憤死
・あー様、3足のわらじに
の三本です。
次回もまた見てくださいねー!じゃんけんぽん!
と言いたいところだが
俺たちにもう次回はない。
来週、サザエさんを見る頃にはもう引退している。
ついにここまで来たか。
大1の4月。コロナ真っ只中。スクランブル交差点から人が消えた東京にひとりで来た。
初めは、サークルに入って友達と週2.3回会って、お酒を飲んだり、旅行に行ったり、バイトしたりするんやろうなと思っていた
しかし蓋を開けてみると、新歓はオンライン。
当時、飲み会は全てzoomで行われ、お酒が買えない俺は、先輩が盛り上がっていくのをシラフで愛想笑いを浮かべながら眺めていた。
俺って4年間こんな感じで行くん??
漠然とした不安が毎日のように襲ってきた。
ある日、宅配便のバイトをしていた時に行った家で、棒に網がついてる変な道具を見た。普段ならあんまり気には留めないけど、なんか気になって調べた。
これがラクロスとの出会いだった。
早稲田にもラクロスあるんかなと思ったらあった。しかも日本一。
オフラインで活動していると知って、それだけで嬉しくて、すぐに体験に行った。
体験に行くと、変な髪の色に「・」がついてる人に出会った。
そいつは俺を見るなり
「入るっしょ!さすがに!」
と言ってきた。
田舎から出てきた俺にすら香ばしく映った彼。
しかし、そんな言葉が背中を押し、付属だらけのラクロス部に1人飛び込んだ。
そして入部して2週間。1年間の浪人生活を経て痩せ細った体は、突然の運動と夏の日差しに耐えられるわけもなく、怪我をした。
そこから復帰してリハに入ってを繰り返す日々が続いた。
沼野には、リハの番人って呼ばれた。
途中入部且つリハで全く練習できない中、上手くなっていく同期。
焦りがなかったわけではないが、それなりに楽しくやってた。
そしてほとんどラクロスをしないまま大2になった。
そして、一年遅れでやってきた入学式で事件が起こった。
俺は、入学式は冠婚葬祭の中の「祭」だと思ってメーリスを流し部活を欠席した。
しかし当時の主将だった平野さんと宮脇さん、今井さんに呼び出されクソほど怒られた。
その中で平野さんが、「日本一になりたくないの?」と聞いてきた。
俺はその時、リハ続きもあって「日本一」というあまりに遠すぎる目標に1mmも心も動かず
「俺は今が楽しければいいです」
と答えた。
宮脇さんからは退部を勧められた。
隣で一緒に怒られてた大暉はなぜか、深々と頭を下げていた。
けど、これは俺の当時の正直な気持ちだった。
ラクロスそのものより、同期と会う時間が楽しかった。
そこからも相変わらず復帰してすぐにリハに入ってを繰り返し、大3になった。
大3では磯部さんが俺をBのSSDMとして使ってくれた。
その時は嬉しかったし、同期や先輩、後輩との時間以外で初めて、ラクロスそのものが楽しいと感じた。
しかし手首を折った。今回はちょっと萎えた。
そして長いリハビリを経てCで復帰した。
そして久しぶりに練習に入った時、いつもとは違う雰囲気を感じた。
うまく言葉では言い表せないけど、みんなが同じ方向を向いて、手を取り合って、同じくらい真剣に事にあたっている時に感じる、充実感というか、そんな感じだった。
ガチで「楽しい」と思った。
ここでやっと平野さんに怒られた時に言った、自分の「楽しい」がいかにちっぽけで、浅はかなものだったんだと気づいた。
そして4年になった。
Bチームリーダーになった。
リーダーになった時俺は、みんなに楽しんでラクロスをして欲しいと強く思った。
俺が感じたあの「楽しさ」をみんなにも感じてほしいと思った。
しかし現実は甘くなかった。
4年は俺と川目の2人。
1on1で勝てず、ずっと何かに謝ってる岡地
6on6でずっと経由役をしてる越前谷
一切喋らない新井
などを筆頭になんか楽しくなさそうな2年
3年も
独り言を呪文のように唱えるすぐり
楽しくなさそうなのがあからさまに態度に出る雄大
一切喋らない酒井太
練習はお通夜のような雰囲気で、空気に話しかけているようだった。
それにAチームに怪我人が出てBから吸い取られ、ずっとDFの俺がATにまでなりかけた。
案の定、夏頃まで練習試合ではマジで勝てなかった。
Bは何年も勝ち続けているのに、俺の代で終わらせてしまうのか
そんなプレッシャーもあり、俺すらも楽しく無くなっていた。
けど、楽しくラクロスをしてほしいという思いだけは曲げたくなかった。
だから、リーダー制を設けてみたり、レッドカードを出したり、壁当てやウエイトを制度化してみたり、面談したり、なんか色々やった。
確かに良くはなったが、理想とは程遠いチームだった。
そんな中迎えたBリーグ初戦の一橋戦。
植村には緊張してないと言い放ったが、内心マジ震えてた。
案の定ランクリは失敗した。
けど、なんとか、マジでなんとか勝てた。
試合後、川目と人生で1番気持ちいいハイタッチをした。
やっぱり楽しかった。
そこから今日までは一瞬だった。
こうと植村がBに来て、オフェンスは見違えるほど良くなったし、それに負けじとディフェンスも修正し、上手くなる。
マジで楽しい。
合宿ではオフェンスにボコボコにされたけど、修正しようと話し合うディフェンス陣を見ていて、俺はなんか嬉しかった。
このチームで良かったと思った。
ここで一つ、感謝を述べておこうと思う。
DFには本当に世話になった。
石津は「つ」に「〝」ではなくて「ず」に「〝」を誇ってくるくらいのレベル感の人やし
はるみちは越前谷、石津専用ミサイルやし
てったは、最近宇宙との交信が途絶えて地球人らしくなってきたし
服部こそ新井よりも真のアーティスト味を感じるし
かんたはなんか危なっかしいし
あー様はサッカーとの二足の草鞋やし
けんぞーの成長は自分を親かと錯覚するくらい嬉しいし
たいきは御年28歳のテレパシー系ラクロッサーやし
ゆうだいは中々楽しそうにラクロスやってくれんかったけど、今では一番楽しそうやし
新井は最後の最後に生え際の怪しさがバレたし
赤平は変わらないし
こうしょうは個人的にツボなのがなんか悔しいし
けんしんパスうまいし
作田はパキってるし
えんたはまぁえんたって感じ
ここまで来れたのはみんなのおかげや。ありがとう。
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同期
だいきはおじさんやし
坂は基本的にテキトーやし
こーせいは見えづらいし
筒井は基本的に変な人やし
たけしは所作うまいし
西森は世界初、反省を覚えたゴリラやし
松本は陰の中の陽やし
かずは将来ニュースで見ないか不安やし
日吉はサイコパスやし
しゆの手首のテーピングはマジ最高やし
松尾はうまいし
はせは怖いし
沼野はsupremeの店員やし
ななはずっと敬語やし
りさはmgリーダー頑張ってたし
かのんは立派な審判になったし
はなえはボールアップbotやし
黄色いバイクが横チンなのか横チンが黄色いバイクなのかは代々受け継がれていくラクロス部の謎やと思う。
「・」
最高に楽しい時間をありがとう!
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Bの同期
夏葉にはマジで迷惑をかけた。色々無理を言ったりしたけど、嫌な顔をせず渉外やBリーグの運営をやってくれた。今こうやって最後の試合を最高のグラウンドで迎えることが出来るのは夏葉のおかげです。ありがとう。
川目はマジで働きすぎ。ただどの仕事も決してテキトーじゃなくて、リーダー時代も今も助けられてる。川目がいんかったら今のBは絶対になかった。マジでありがとう!
こうが来てからBのオフェンスは、海里さんに1番完成度が高いと言われるくらい素晴らしいものになった。誰よりも真剣にラクロスに向き合ってる姿にはマジで何回も刺激を受けた。ありがとう。
植村にメッセージを書くのはなんか恥ずかしい。逆に書くことがない。ただマジで感謝してる。これからもよろしく頼む。
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両親
結局今までお世話になりっぱなしでした。
毎日連絡してくれているのに、たまにしか返さんくてごめんなさい。
ただ、おかげでかけがえのない大切なものを得ることができました。
これからもよろしくお願いします。
そして最後に。
「今が楽しければいい」
なんか最近の若者はそう考える傾向にあると、テレビのZ世代特集のくだりでよく見る。
自分もその一人だったし、まぁその通りかなとも思う。
ただ、今感じている「楽しさ」だけが「楽しさ」ではないし、
今感じている「楽しさ」に拘らず、色んな「楽しさ」を見つけて欲しいと思う。
時には、新たな「楽しさ」を手に入れるためには楽しくないことも経験せなあかんかもしれんけど。
なんか同期のみんなや、先輩方が書いてきた強たれは、ラクロスのことがメインで書かれていたけど、そうすると俺はリハ生活が長すぎて「怪我に悩まされた」で終わってしまう。
だから俺は、4年間のラクロスを通して学んだ一番大切だと思う事を書いた。
そして今日。
俺がまだ味わったことのない「楽しさ」
「日本一」
それに向かって
俺の4年間の全てを懸けてプレーしようと思う。
そして必ず植村を胴上げしよう。
だからみんな、よろしく頼む。
鳥海聞いてる?頼むぞ
AVENGE
#31 大橋琉生