「Noblesse oblige」
特権には責任が伴う
早稲田ラクロスに所属するみんなにも当てはまることだと思っています。
なぜなら、私たちの当たり前は、当たり前ではない何かの上に成り立っているからです。
大学に通えること、体育会に所属し活動できること。
毎日不自由なく練習ができること、数千人規模の試合があること。
一部に所属していること、100人を越える部員がいること、日本一が夢ではなく目標であること。
どれも、自分ひとりの力では到底得ることのできない特権です。
もちろん自分の人生の主役は自分ですが、間違いなく他者との文脈の中で生きていることを忘れてはいけないと思います。
自ら選びこの組織に所属する以上、一人一人が責任を負っています。
責任の果たし方は人それぞれでしょう。
ただ、どんな立場の人であれ、当たり前を当たり前と思わず、周囲の人や組織に対して責任ある行動を取ってほしいと思います。
かくいう私も例にもれず、そんな特権を享受してきた。
例にもれないどころか、例外とも言えるような特別な経験をし、立場を与えられた。
そして、相応の責任を果たそうとしてきた。
1年生で学年キャプテンを務め、2年生でリーグ戦に出場し、3年生で副将を務めた。
もちろん、全てうまくいっていたわけではない。
サマーでは1点も取れず、あすなろは予選で負け、Bに降格し、ポジションを変え、全国にも届かなかった。
それでも、
常に自分にできることをやってきた。
壁当てをし、ウエイトをし、質問をし、動画を見あさり、冬オフにも武者と走り込みをした。
Aチームにしがみつき、序列を上げ、スタメンになろうともがいた。
プレーだけではない。
練習やミーティングの準備、忘れ物の回収、部室の掃除、倉庫の片付け、ゴミ拾い、落ち葉掃き。
誰にでもできることを誰よりもやってきた自負がある。
4年生。
主将になった。当然自分がやるものだと思っていた。
学年キャプテン、副将
たくさんの"役割"を任されてきたから。
2年生から試合に出続け、関東ユース、オールスター、日本代表選考にも残った。
多くの"経験"をしてきたから。
自分の代を日本一にすること。いかなる結末でも、結果に対して責任を負うこと。
これは、たくさんの特権を享受してきた私が果たすべき責任だと思っていた。
主将だから責任を負うのではなく、私自身の責任を果たすために主将になった。
自分に課した。
「組織はリーダーの器以上にならない」
半場さんからもらった言葉。
リーダーの天井が組織の天井になる。
リーダーがどう立ち振る舞うかでチームの雰囲気が変わる。
ならば、
日本一を掲げる組織の主将を任された自分は、日本一の選手でなければならない。
常にチームが進むべき道を示し続け、外れているなら引き戻さなくてはならない。
目指したことは、
背中でも言葉でもチームの進む方向を示すこと。
それが実現できるだけの信頼と実力があること。
“人は意識したことしか認識できない”
人が一度に意識できることなど限られている。せいぜい1つか2つだろう。
どうしたら日本一になれるのか。今どのような状況で、何が足りないのか。
できるだけ整理をして端的で簡潔な言葉で伝える。
“直接他人を変えることはできない”
人を動かそうと思うなら、まずは自分が動くこと、変わること。
そして、自分自身の言動で納得と共感を得る必要がある。
理屈だけを言葉で伝えても行動が伴わなければ、
1人でただガムシャラに行動しても"なぜ"を伝えられなければ、
人を動かすことはできない。
周りに課した。
「勝負の世界に絶対はない」
痛いほど理解していた。
齋藤組の明治戦、山﨑組の法政戦、田中組の明学戦
今年のFinal4、入れ替え戦、全学
あれだけ悩み努力をした人が、あれだけ巧くて強かった人が、
涙を流した。
どれだけ努力をしても、どれだけ祈っても、この世界に"絶対"はあり得ない。
そんな世界で考えるべきこと―
運の要素を下げ、勝つ確率を上げること。
様々な想定し、想定外に対応できる選択肢を用意し、現場で最適を選択し遂行すること。
高鳴る鼓動、荒い息遣い、血走る眼―
あの舞台で、何か新しいことを考えるのは難しい。
試合を決める一瞬にこそ、習慣/下意識が表出する。
ならば、
正しい思考を習慣化すること、正しい技術の下意識に落とし込むこと、が必要になる。
それこそが練習の意義である。
負けてから気づいたのでは遅い。たった4年間で結果を出さなくてはいけないから。
“なんとなく"の日々の先には何もない。習慣や思考、染みついた下意識はそう簡単には変わらないから。
自分と周りに求め続けた。
でも、
だから、
苦しかった。
日本一はおろか全国大会とも無縁で、100人規模の組織に属したこともない。
人前に立つことが苦手で、特別な能力も持ち合わせていない。
37年の歴史と150人が所属する組織のリーダー。
様々な特権に対する責任。
私程度の器では到底受け止めきれなかった。
理想とする練習や試合のレベルを作り上げられず、プレー外の意識も低い。
退部者が出て、意見箱には様々な意見が入っていて、"正しいこと"は必ずしも"正解"ではないことを知った。
現実と理想の乖離
正解のない選択
周囲からの期待
求めれば求めるほど遠のく日本一
次第に、
負けることが堪らなく怖くなった。
不満の矢印が全て自分だけに向いているように感じた。
勝っても日本一の夢を奪わなかったことへの安堵だけで、喜びという感情がなかった。
周りを頼らなくなった。
こうあるべき、に縛られた。
周りに求めすぎてしまった。
間違った伝え方をしてしまった。
自分が主将でなければもっと素敵な組織になっていただろうと、今でも思う。
結果で美化することはしない。申し訳なく思います。
それでも、
辞めようとか投げ出そうとか、そんなことを思ったことはない。
もちろん、それが許される立場でなかったのは要因の1つだろう。
ただ、責任や尊厳、そんなものよりも、たくさんの"想い"が原動力だった。
「想い」
単に頭で思考することではない。
多くの経験や感情が積み重なり、交わることで形成される、強さや勇気、覚悟の源
であるように感じる。
様々な夢に触れた。
日本一になりたい。
自分の選択を肯定したい。結果で恩返しをしたい。
一体感のある組織にしたい。仲間と笑って引退したい。
横を見れば、仲間がいた。
練習後に必ずウエイトと壁当てをしている人
選手を諦め最強の1年生を育て上げた人
やや心配になるほど身を削る人
立派にリーダーを務め上げた人
少しうるさ過ぎるけど、意外と真面目に考えて盛り上げてくれる人
チームのために自分にできることをやり続ける次の主将
少し自由が過ぎるけど、頼れる副将
それだけではない。
どんな時も味方でいてくれた両親とはち
向き合い続けてくれたコーチ陣
日本一を当たり前に目指す環境を作り上げてくれたOB・OGの方々
様々な面で支えてくださった稲門会の方々
応援に来てくれる友人
主将たち
同じように日本一を目指し、涙を呑んだライバル
どうして下を向けるわけがあろうか。
みんなの存在が、想いが、
私が明日を戦う理由であり、やや重すぎる責任を全うする原動力でした。
ありがとう。
ただ、ありがとう。
何よりも、
真面目で、優しくて、尊敬できる仲間と
勝って笑いたい。最高の景色を見たい。
今はただ、素直にそれだけを想う。
たくさんの"特権"を享受し、
相応の"責任"を背負い、
"想い"に支えられてきた、
私なりの責任の果たし方。
それは、
「想いを紡ぐ」こと。
私はたくさんの涙に出逢った。
優勝した瞬間、夢破れた瞬間
彼ら彼女らは、何を想っただろうか。
"頑張れ"と真っ直ぐ目を見て、力強く握りしめてくれた。
あの目と、手の感触を忘れていない。
どれだけの”想い”が込められていただろうか。
私にはその全ては分かり得ない。
ただし、
想いを紡ぐことはできる。
私たちが勝つことで、彼ら彼女らの想いや努力、涙の全てに対して何か大きな意味を与えられるとは思わない。
それでも、
直接引退の引導を渡したものとして、
たくさんの想いを受け取ったものとして、
その全てに恥じない戦いをしなくてはならない。
責任―
勝つことではなく、戦い抜くこと。
託された"想い"を、振り絞ってくれた"頑張れ"を、決して無下にしてはいけない。
真摯に戦い抜き、背負った想いを昇華し未来に託す。
それが私なりの"特権"に対する"責任"の果たし方です。
最後に
これを読んでくれているあなたへ
叶えたい夢、背負う想いはありますか?
私の夢は、シーズンが終わった時に早稲田ラクロスに関わる全ての人が笑顔であること。
その手段として日本一があり、全チーム優勝があります。
日本一になった時、どんな景色が見えるのだろう。
想像するだけでワクワクが止まりません。
どちらかといえば悲観的で保守的で現実主義の自分が、これほどまで未来に胸を躍らせていることに驚いています。
この感情を、一瞬の”今”を必死に生き抜いてきた証左なのだろうと、肯定的に捉えてみています。
「今、ここ、自分」
この組織に所属する人なら何度も聞く言葉です。
変えられない過去を嘆き、起こりもしていない未来を憂いていませんか?
できないことに目を向け、仕方がないと言い訳していませんか?
あいつが〜だからと、他者に責任を求めていませんか?
変えられるのは、今この場にいる自分だけです。
それでも、
人は完璧ではありません。
高い目標を目指すほど、様々な想いを知り背負えばこそ、そのギャップや重圧に打ちのめされることもあるでしょう。
どれだけ祈っても、明日は来る。どれだけ努力をしても、絶対はない。
これは揺るがない事実であり、堪らなく恐ろしく感じることがありますよね。
それでいいと思います。本気である証拠だと思います。
では、問います。
結果が出なければ、意味がないのでしょうか。
“正しい努力は報われる”
これは恐らく真理なのだろうと感じています。
結果が出なかった時は質なのか量なのか方向なのか、何かが誤っていたのでしょう。
そして勝負の世界である以上、勝つことでしか得られないものも間違いなくあります。
ただ、敗北や失敗は無意味と同義ではありません。
その過程の全てを否定するものではないはずです。
正解のない道で大きな夢を追い求めた葛藤と情熱の日々は、何者にも否定できない尊いもので、誇るべきものです。
重要なのは、敗北や失敗にどのような意味を持たせるか。
それは、他でもないこれからの自分であり、あなたです。
決して頑張り続ければ必ずいいことがあるとは思いません。
綺麗事では片付かない現実が、そこにはあります。
崩れそうな時、立ち止まりそうな時は思い出してみてください。
夢が大きいほど、背負う想いが多いほど、あなたの1歩は力強いです。
負けないんです。
あなたが思っているより、あなたは強いはずです。
苦しくて、辛くて、それでも向き合って前を向こうとするあなたは、十分すぎるほどに強いと思います。
覚悟とはー
成功を信じ続けると同時に、失敗の可能性を受け入れること。
勇気とはー
恐れを知らないことではなく、恐れを抱きながらも進もうとすること。
強さとはー
弱さがないことではなく、弱さを受け入れて前を向くこと。
覚悟と勇気を持って、力強く次の一歩を踏み出しましょう。
その一歩に、意味があります。
いよいよ、明日で日本一が決まる。
自分を、自分たちを、
誇ろう。認めよう。
過去も未来もない。
自分を受け入れ、今を生きること。
そうすれば、やるべきことは見えてくる。
やるべきことは実力以上の巧いプレーではない。
一人一人が誰にでもできることを徹底し続けること。
私なりの"巧より強たれ"の解釈です。
さぁ
前へ。
1歩、前へ。
想いを背負って。
力強く、踏み出そう。
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野澤想大

