まず初めに日頃より多大なるご支援と温かいご声援をいただき、男子ラクロス部を支えてくださっている保護者の皆様、OB・OGの皆様、そして部長・監督をはじめとする関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。
日々自分が感じていた想いをありのままにし、自分と同じような弱さや葛藤を抱えている人の背中を少しでも押すきっかけになるように願います。
自分にとって「巧より強たれ」の執筆はラクロス部生活の終わりを告げる最後の足跡を残すことだと感じていた。いざ綴ろうと思うと、これまでの怒涛の4年間が一気に押し寄せてくるのと共に、引退の足音が聞こえていることを実感し、遂にここまできたかと感慨深くなる。
ラクロスとの出会いは高校3年生のときだった。
早稲田大学を志望校に定め、特に理由もなしに三重県のド田舎にある高校の教室で、体育会一覧のホームページを上から流し見していたときだった。
「部員数少ないんだろうな」と高を括りながら、ラクロス部と書かれていた部分をタップした。驚いた。
名前も知らないスポーツの体育会にこんなにも多くの部員が所属しているのかと。
そこからなんとなく興味が湧き、大学入学後は真っ先にラクロス部の新歓へと参加し、そのまま入部した。
結局新歓に参加したのはラクロス部のみだった。
だが正直言って、本当に部活に入るかどうかは割と最後の方まで迷っていた。部活に入ると辛いことの方が多いことは目に見えていたし、入らない方が思い描く理想のキャンパスライフを送れるのではないかとも考えていた。
結局入部することになったのだが、最終的に入部の決め手になったのは、そんなことを考えてしまう弱い自分を変えたいと思ったから。
ここで逃げれば、この先ずっと大事な局面で逃げてしまうような人間になってしまうと直感した。
入部してから少しの間は順調であったが、サマー前の7月8月辺りからは辛いと思うことも増えていった。サマーはβとして出場し、当時は劣等感で居た堪れなかった。サマー本番、フリーシュー担当として数得点を挙げるも予選敗退。
今でも鮮明に覚えていることがある。
予選2試合目、成蹊大学に大差を付けられ、予選敗退が濃厚になってきた2Q残り数分。
ボックスでフライをする位置に1番近くにいた自分は、この場面でボールを持ちたくなくて、敗北する瞬間にグラウンドに立っていたくなくて、給水をするフリをしてボックスの最後尾に並び直した。
全く我ながら情けなすぎるだろう。
弱い自分を変えたくて入部したラクロス部であったはずなのに、何も変わっていない自分に失望し、敗戦後『ナイスゲーム』と声を掛けてくれる諸先輩方に顔向けができなかった。
情けなくて悔しくてしょうがなかった。
しかし、そんな悔しさも時間と共に色褪せていく。
ウィンターでは藤と隼平と共にOMF2ndセットとして回しに入るも、藤と一緒に1stに出場機会を譲りまくるという奇行に走る。
これまた大変情けないが、サマーをβとして出場していた自分にとってはウィンターで回しに入れたことで達成感を感じてしまっていた。
時は流れ、上級生となった自分は円太さんや植野さん、ジョウさん率いるBチームで伸び伸びとラクロスをプレーできていた。
B六大戦でもBリーグでもそれなりに活躍してる自負があったが、全学Final時にはOMFの4枚目か5枚目かというところで回しに入れるかどうか微妙なライン。
練習でどれだけ存在価値を示せるかどうかという毎日が好きじゃなかった。
そんなとき、vs栢森との2on2でハムの肉離れを引き起こした。
当時その場にいた明莉は『なんで今やっちゃうかなあ』と言ってくれていたが、自分の心の底では回しに入れず落ち込む恐怖からの解放で安心感を感じていた。
今シーズンの長期離脱だってそうだった。
シーズン当初はAチームスタートで毎朝起きるのが楽しみだった。
しかし、少し練習試合での負けが続き、チームの雰囲気が若干落ち込む中でラクロスをし続けるのは面白いものではなかった。
結局、入部した時から自分は何も変わっていなかったのだ。
プレッシャーから逃げ出せた3ヶ月以上のリハビリ期間は、皮肉にも一瞬で過ぎ去っていった。
復帰後、何とか身体を調整しつつ迎えたBリーグ最終予選であるvs明治。
初めて使うグラウンドに最悪の天候。
4Qも残り時間が少なくなってきた時点で2点差負け。
ここでまたしても弱い自分が顔を出してきた。
「この場面でボール持ちたくないな」と、そう思った時、自分の頭の中にふと思い出されるのはサマーβで試合終了間際にボックスの最後尾に並び直した、あの日の自分。
「俺はまたここで自分に敗けるのか」
強くそう思った。
腹を括った後、そこからは頭がクリアになり、親愛なる遼太からのパスを受け取り、そのまま打ち切ったシュートが得点となった。
嬉しかった。
決して綺麗なシュートではなく、正直ほぼサクセーブされていたし、不恰好なものだっただろう。
しかし、自分にとってはこれまでの葛藤を吹き飛ばす、とてつもなく大きな1点であった。初めて自分に打ち勝てた瞬間だと感じた。
この前、藤に『そろそろ自分なりの哲学を持っていいのでは?』と言われた。
これまでの経験を通じて、自分なりの「巧より強たれ」を少し見出すことができたと思う。
それは「弱い自分に打ち勝つこと」だ。
日々、自分という敵があらゆる時間に襲いかかってくる。本当に強敵だと思う。
ただ、その自分に打ち勝ったときというのは充実感に満ちていて、次に何か大きな壁に挑むときの揺るぎない自信となる。
技術の巧みさ以上に、自身の弱さに立ち向かい勝ち続ける姿勢こそが、本当の「強さ」なのだと感じる。
明日の関東Finalであれ、全学であれ、日々の練習であれ、思わず「これくらいでいいか」と妥協しようとしてしまう瞬間は、これからも何度も訪れるだろう。
そんな時にこそ、やっと見出した自分なりの「強たれ」を思い出し、自らを奮い立たせよう。
自分への戒めとしてはもちろん、かつての自分と同じように葛藤している誰かの背中を少しでも押す言葉となれば、これ以上に嬉しいことはない。
家族へ
幼少期から体調不良も怪我も多く、おまけに反抗期も長く、手の掛かる息子だったと思います。今の自分があるのは間違いなく、三重県松阪市で生まれ育ち、家族の支えがあったからこそだと心から思います。いつも応援してくれて本当にありがとう。あともう少しだけ迷惑をかけたいと思います。見守っていてください。
スタッフへ
毎日の淀みない練習はスタッフの活躍あってこそであり、心からリスペクトしています。そして、上級生なってからは怪我がちだった自分を支えてくれたTR陣には感謝しかありません。特に聖奈には約10ヶ月リハ担当として大変お世話なりました。グラウンドにいるスタッフ陣は間違いなく、選手達の背中を押し、大きな励みになっていることをひしひしと感じます。明日以降もグラウンドで共に戦ってくれたら嬉しいです。
優太さん
1年生時と合わせて計1年半程、本当にお世話になりました。宮野さんが強たれで『あの人は芯があってブレない。すごい。』と語っており、今シーズンでまさにその通りだと感じました。最高の形で締めくくりましょう。
遼真さん
現役時代から憧れの遼真さん。遼真さんと共にプレーできた時間はほんの一瞬でしたが、今でも自分の大きな財産です。いつまでも俺たちのカッコいい山口遼真でいてください。
丸田さん
気付けば藤や遼太、樋田と共に丸田チルドレン3年目となってしまいました。丸田さんからはプレーのみならず『人として』ということをたくさん学びました。自分にとって丸田さんは世界で最も尊敬する人物です。最高の形で締めくくりましょう。
先輩方へ
丈さんや円太さんをはじめとする偉大な先輩方との日々が今の自分の根源となっています。先輩方が今でも試合会場まで足を運んで見に来てくれていることは大きな励みなっています。
明日も見に来てください。
同期へ
自信を持って井原組で良かったと思えます。自分も書く人と書かない人の線引きが好きではないので割愛しますが、伝えたいことはたくさんあります。またいつか語り合いましょう。
最後にBチームへ
Final4後、初めて伏見に来たとき、まだもう少しこのチームで戦い抜けることに自分はなんて幸福なんだろうと思いました。最後まで走り切りましょう。
明日は関東Final、慶應戦。
いつも以上を発揮しようとしなくていい。練習でやらないことやできないことをやろうとしなくていい。
ただ今までやってきたことを遺憾なく発揮し、我々の使命を全うしよう。
それでも決して楽な試合にはならないだろうし、苦しい場面もくるだろう。
でも大丈夫。
周りをみればここまで共に歩んできた最高の仲間達がいる。
何も臆することはない。
100%をぶつけてやろう。
いざ、強たれ。
MF #27 長谷川 颯良

