小中高と一緒の腐れ縁の髙杉に誘われて、ラクロス部を見にいった。
どんすけさんに憧れて、自分の体の大きさが活きると信じて、ゴーリーをやりたいって思った。
日本一になりたいって思った。
ただ現実は、甘くなかった。
足は絶望的に遅いし、反応は悪いし、クリアの判断も満足にできない。
体だけ大きいだけのダメダメでダメダメなゴーリーだった。
一年のサマーはβ、ウィンターもβ、あすなろも二番手
三年生の最後の最後にAチームに滑り込んでリーグ戦にちょっと出たが、
四年の五月以降はBチーム
いつだって一番手にはなれなかった。
200m×10本のランメニューに関しては四年間最下位を独走した。
”俺って、この部活にいて何の意味があるのかな”って、自分が嫌になっていった。
だから、「自分の意味」を問い続けた。
「どうやったら、意味のある存在になれるのか。」
自分にできることは、何か。
自分にしかできないことは、何か。
誰にも負けないことは、何か。
問い続けた結果が今だ。
プレイヤーとして、動画職人として、スカウティングリーダーとして、自分にできそうなことは何でもやった。
今思い返せばいろいろやりすぎて全部は書ききれない。
だから、今回はスカウティングだけ。
スカウティングは、
正直、新しい試みが多すぎて途中は空中崩壊しそうだった。
特に駆け出しの頃は、星野と小泉とああでもないこうでもないと頭を抱えていた。
先輩達が残してくれたモノ以上にしなくてはならない。
後世に残るものでなければならない。
スカウティングリーダーとして、期待してもらった以上を返さなければならない。
総じて、目指すと誓った「日本一のスカウティング」
「日本一のスカウティング」ってなんだよ、わかんねぇよって頭抱えた。
就活で、なかなか時間合わないからオフの日の朝6時は小泉の家に押しかけて話し合った。
あのときは、三人だった。
だが、それも今では九人の専任スカ、五人の兼任スカを抱える団体となった。
シーズン当初に描いていた絵空事も、皆の力で現実になってきた。
一番最初に専任スカになったベンチャースピリッツ溢れる土本。君が専任スカという今まで早稲田になかった道を切り開いた。
寡黙なフリして、我が強く、最近何かと頼もしい武田。最近体がますます大きくなっている。
“頑張る”でおなじみの小田。ハイスペックなPCと共にきっちり仕事をする。
巧みに人を操り、実は影でスカウティングの実権を握っている高路。
やる気に満ち溢れてる小宮。正直こんなに速く成長するとは思ってなかったっていうのが本音だ。すごい。
自分がチームにとってできることを考え、ASになった加藤と北村
無茶な仕事を振っても、どうにかがんばってくれる3年生の岸、シン、たくま
マネージャーという目線から何かスカに貢献できないかと手をあげてくれた友実
スカだけじゃ処理できないからって、データの入力など、手伝ってくれるチームの皆
本当にありがとう
スカウティングは、皆のおかげでここまでこれた。
ただ、もっとできる。
俺達はまだできる。もっと良くできる。
これで最善なんて言えない。
スカウティング以外にも、例えば広報だって、動画だって、なんだって、もっと良くできる。
早稲田ラクロスは、ラクロス界はまだまだ良くできる。
スローガンの「change」に基づいて、俺達は常に変化し、進化しなければならない。
現状維持は後退だ。
そして、「自分は早稲田ラクロスに何を残せるか。」
「部員として所属した証」が残り続け、OBとしてこの部活に顔を出した時にそれを実感したい。
だから、関東の決勝なんかで負けてられない。
まだまだ課題は山積みだ。やらなきゃいけないことはたくさんある。
自分たちのやってきた4年間が”正しかった”と証明するためには、日本一になるしかない。
日本一になったら言ってやろう。
誰にも負けない4年間だったって。
宇野達朗
CHANGE