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2026

〜巧より強たれ〜 『死線を超えて』 佐藤 永治

ついに「強たれ」を書くときが来てしまった。


書きたくても書けずに散っていった先輩方を見てきている中、 スターでもなく、 組織を支え

る幹部でもない。


今話題の VIVANT で例えるとシーズン1の大使館職員ナジュムくらいの立ち位置の自分が、

伝統ある「強たれ」をヒリつく試合が続くこの時期に書けることを大変嬉しく思う。


それでは私の濃いようで薄い、 薄いようで濃い絶妙なラクロス人生を振り返りながら、得た2つの価値観について述べていこう。



1年生


祖父&父の出身校であり、 子供の頃から憧れていた早稲田に合格。 父のようにサークルに入り、 高田馬場で飲み歩き、競馬や麻雀等に勤しみ 「人生の夏休み」 を謳歌する予定だった。


そんな中、第二外国語のドイツ語の授業で出会った彼により運命が変わる。



初回の授業でそいつは変な棒をもってガニ股でオラつきながら教室に入って来た。

その棒何?と聞くと

「クロス。俺ラクロス部入るわ。体育会なんだぜ!」と巻き舌を絡めて答えてきた。


なんやこいつ。


ちなみにこのオラついてる彼は後に世代最強 FO、日本代表(笑)となる富田隼平である。


そんな彼が、当時サークルに入ろうと思っていた自分にとって輝いて見えていたのかもしれない。


体験会に行こうと決め、同郷でギリ繋がりのあった藤とともに向かった。


入部したはいいものの、3 回連続で骨折し、シーズンをほぼ棒に振った。


ゴーリーだからしょうがないとは分かりつつも、さすがにきつかった。

サマー、ウィンターはほぼ記憶がない。ただ見ているだけで終わった。



2年生


このままだとやばいと分かっていた。だからこそこの頃が一番必死に自主練していた気がする。


毎日壁に向かい、伏見のジムの鏡の前でシャドーをする。(今となっては考えられない)


だからこそ、結果が出ず、ヘタクソすぎる自分に嫌気が差していた。


そして練習を投げ出し、先輩に食って掛かり、同期からの優しい指摘もシャットアウト。


最悪である。


気づけばあんなに仲良いと思っていた同期たちも離れていった。


夏合宿終わりに見つめ直して、もう一度ラクロスをしている意味を考えた。

そこで自分なりに一つの結論を見出した。



「人との関わりを大切にする」



これまでの人生を振り返り、スポーツをしてて良かったことは、それを通じて繋がる人との縁だと気が付いた。

小中高と続けたサッカーもヘタクソで、

早稲田ラクロスのように強豪でもなかったが、そこで得た仲間との繋がりは今でも続いている。


それこそが自分の財産となり血肉となっているのだなと気が付いた。


日本一、MVP、日本代表、競技が上手いこと。それは素晴らしいことである。


ただそれは一時的なもので、競技を引退した後も続いていくのは人との繋がりだ。


これからは、人との関わりを主軸においてラクロスをしようと心がけた。


この自分なりの物差しを得てから、その時々の気分で左右されることが少なくなった。


仲間とのコミュニケーションも増えた。


相乗効果なのか不思議とプレーも安定しはじめ、ラクロスにも少しずつ自信を持てるようになった。


あの時の育成リーグ優勝は今でも鮮明に覚えている。


多くの迷惑をかけてしまった丈さん、ヒデさん、須藤さん、ヒロシさんに結果で恩返し

出来て本当に良かった。


3年生

春休みの海外逃亡から始まったこのシーズン。

Bを主戦としながらAにも C にも顔を出すような年。

周りのケガ等の幸運もあり、 3 度の A の地方遠征全てに帯同。 地元関西の友人の前でラクロスをする姿を見せられてとても幸せであった。


そして個人的に一番のハイライトである全国大会一回戦の福岡大学戦。

序盤、まだ試合がどっちに転ぶか分からない2Qで謙伸にフラッグ。

いきなり人数不利のピンチで出場。その直前のタイムアウトで野澤さんが


「ここは別に点とられていいから。切りかえよう。 」と言っているのを耳にし、


「まだ点とられてないのに何でそんなこと言うねん。絶対止めてやる。 」


と心に決め無事セーブ。少し殻を破れた気がした。そしてこれが謙伸の G リーダーガクチカへと輸出。感謝してほしい。

全チーム優勝、日本一を達成した野澤組に貢献したとか大きい事は口が裂けても言えない。

ただ、その過程を経験できた事は自分にとって非常に大きかった。


4年生

Bスタートだったがこれまでの経験からどこかでAで試される機会が来ると分かっていた。

その機会に備え、まずはBで結果を出す事を目指した。

また 4 年生として後輩たちにも何かできることはないかと模索し、幹部ではないものの自ら反省グルを作り、

ゴーリーというニッチなポジション特有の悩みなどにも寄り添いながら全体の底上げを図った。


副将とGリーダーを兼務する謙伸の手助けをできればという想いもあった。



そしてチャンスがやってくる。早慶戦後の恒例の編成いじりでAでのテスト。

謙伸が大けがした 5 月末の ADVANCE 戦で奇跡のセーブ率 100%


ツイてたのもあるが、それ以上に天秤にかけられた状況で結果を出せたことに成長を感じた。


やっとの想いで手が届いたAチーム。


このまま頑張ってリーグ戦も。と思っていた矢先だった。




6 月半ば、航空公園での VIKINGS との試合中、身体の不調を感じた。


「うわ、風邪ひいた」


最初はそう思っていた。


途中交代しようとしたが、控えがタイミー小田川だったので気合いで乗り切った。



帰宅後 39℃、次の日には 41℃


これはいつもと違う。


救急で病院に駆け込む。


血液検査の結果は



“多臓器不全”



腎臓と肝臓が機能停止、血圧もかなり低い状況だった。


「即入院です」と言われそのまま ICU に運び込まれた。


そして次の日が一番危なかった。

熱を下げる点滴を入れた直後から、 もともと低かった血圧がさらに下がり、 機械の警報音と

共に医者と看護師がバタバタし始める。そして強烈な眠気のようなものに襲われた。



「自分の名前言える?ここどこか分かる?」という質問をされかなり危ない状況だと認識。



「やばい、このまま目閉じたらまじで逝くやつや」

「まだ死にたくねえ」


身体は全く動かなかったので、そのまま眠らないように目だけは必死に開け続けたのを覚えている。


その後別室に移動し、心臓の拍動を促す点滴を行い、なんとか復活した。

医者にあと 1 日入院が遅かったらどうなってたかと聞くと、

死んでたか、一生透析してたかと言われ流石に震えた。


その後も長かった。


原因と詳しい病名を見つけるために、血液、皮膚、骨髄。採れるものは全部採取し検査。

そして分かった病名は



TSS (Toxic shock syndrome)



日本では 1000 万人に1人の症例らしい。

原因はまさかのラクロスで被弾した脚の傷からの細菌の増殖だった。

その後も原因となった足の手術や、経過観察で結局 1 か月ほどを病室で過ごした。

目標にしていた 7 月頭の獨協戦も病室で見守った。

「なんでこのタイミングで俺やねん」と「生きてて良かった」が交錯した期間だった。


この期間にお見舞いに来てくれた同期、 2 年ゴーリーズたち本当にありがとう。 退屈だった入院生活。

この面会の時間が唯一の楽しみでした。



それから苦しむ未来のスターへ。


ここで触れるのは違うかもしれないが焦らずゆっくり治してほしい。

そして同期たちは彼を支えてあげてほしいと思う。



この病気を経て 2 つ目の価値観を得た。



「生きてるだけで丸儲け」


お笑い怪獣こと明石家さんま氏の名言である。



よく使われる言葉だが実際に死の淵にいたからこそ、よりリアルに感じられる。


これからどんな困難や壁にぶち当たっても 「どうせ死なない、 死なんから大丈夫」 と本気で思える最強のメンタリティを手に入れることが出来た。


多くの方々の支えもあり無事復帰し、

現在は凌平率いる B チームで愉快な仲間たちとともにまたラクロスができている。



という感じでザックリではあるが私の 4 年間である。


結論から言うと早稲田でラクロス部に入って本当に良かったと思っている。



ラクロスで悩み、ラクロスに殺されかけた訳だがそれでも新しいスポーツに挑戦し、

たくさんの素晴らしい方々に恵まれた 4 年間は無駄じゃなかったと思っている。

ラクロス部に入っていなかったら、怠惰な自分は今頃ポテトチップを食いながら Netflix を見て

ブクブクに太り、何も記憶に残らない 4 年を過ごしていただろう。

ストイックな周りに影響され、ギリ小デブで持ちこたえられている。



長くなってきたので、これまで支えてくれた方々への感謝と慶應戦への決意で締めたいと思う。



父へ

何不自由なく大学生活を過ごさせてくれてありがとう。

マイペースだけどやることをきちんと丁寧にこなす所、 本当に尊敬しています。 結果的にはあなたと同じ大学を出て、 似たような会社に入ることになりそうです。 どこかでその背中を追いかけていたのかも知れません。また一緒に旅して酒飲んで語り合いたいな。


母へ

スポーツは勝手にやっとけスタイルだったけど、 なんやかんや応援に来てくれたり、 毎日ウェアを洗濯してくれたり、 帰宅に合わせて飯を用意してくれたり。 入院したときも毎日のように病院に面会に来てくれた。文字に起こすと至れり尽くせり。本当に感謝しています。


妹たちへ

臭い防具に耐える日々とはもう少しでおさらばです。もうちょい耐えてもろて。



スタッフの皆様へ

いつも大変お世話になっております。みんなのおかげでこの部活が成り立っています。

そしていつも私のしょうもない小話を聞いてくれてありがとうございます。

後輩スタッフたちの愛想笑いには気づいているものの、またネタが入ると休憩中にペラペラと話してしまいます。老害ですね。


コーチの皆様へ

平日仕事がある中で、貴重な休日を割いてご指導いただき本当に感謝しています。

丸田さんはあまり感謝コーナーが好きではないとボヤいていましたが結局この形になってしまいました。


嶋田さんへ

何かと気にかけていただきありがとうございます。 最近、 早稲田ラクロスの中で一番替えの利かない存在は嶋田さんなのではないかと感じております。ここまでラクロスに情熱を長年注ぎ続けている人は見たことないです。 そしてゴーリーのノウハウだけでなく、人として多くを学びました。


「俺、 ラクロスも仕事も全部 ALL IN でやってるから」 「これ(ラクロス)が俺の人生だから」


自信を持ってこれを言い切れる嶋田さんはマジでかっこいいし、自分もそんなかっけえ大人になりたいです。


ゴーリーの皆様へ

ビッグベイビー黒田

チャラそうに見えて真面目な西島

ケガキャラから冷笑系に変貌した和田

極上の編み師、プライベートも順調な柴りょう

世界の奥山を止めるタイミー兼ビアードパパ小田川

ラーメン屋けいし

負けん気強いアイルと優しさあふれるマサ



これまたクセのある後輩たち。 シーズンも佳境だが、 それぞれの立場で与えられた役割を全うしてほしい。


そして謙伸


君が上手すぎるおかげで何回もやる気を失いました。

最初は素直に応援できなかったけど今では 1 番応援しています。

今年はコミュニケーションをしっかりとり、 2 部練を極力減らしたり、 それぞれの状況を共有しながら入れ替えを積極的に行ったりと例年よりも良いゴーリーユニットを作れたと思う。あと数か月、やりきろう。

ワンチャンの準備もしておきます。


親愛なる同期の皆様。

非常に扱いづらい部分も多くあったと思いますが、仲良くしてくれて本当にありがとう。

井原組はおもろい人が多くて常に笑いが絶えない代。

ラクロスだけでなく人間的にもリスペクトできる人が多くて、この代でよかったと心の底から思う。





明日は慶應戦。


今年は早慶が A も B も生き残っている激アツな年である。


負けても引退ではない。


しかし早稲田を背負う者として慶應に負けるわけにはいかない。


ましてやホームの東伏見で若き血は聞きたくない。




この時期までラクロスができることの幸せを感じながら勝って紺碧の空を轟かせよう。




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G #42 佐藤永治

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