新人戦のサマー優勝が忘れられない。
自分が唯一プレーで貢献し、手にした優勝ということもあるかもしれないが、
初めての公式戦で、同期やコーチと一体となって掴み取ったタイトルが本当に嬉しかった。
素直に、この仲間達と全日本選手権を優勝したらどんなに最高だろうかと思ったし、
この優勝で、自分の四年間全てをラクロスにぶつけたいと心の底から思ったことを覚えている。
試合終了の笛と共に、全部員がグラウンドの中心に駆け寄って喜び合ったあの瞬間を、
心が折れそうになった時など、この4年間で何度思い返しただろう。
(YouTubeで、ラクロス Summer Stage Finalで検索)
そして、それ以降は自分で目標を掲げ、ラクロスに全力を尽くすことに決めた。
“Gとして、自分がチームの守護神になり、全日本選手権優勝に導く“と。
しかし、そんな決意をしてすぐ、壁にぶち当たった。
前十字靭帯断裂と半月板損傷。
怪我が隣り合わせのスポーツなのは、分かっていたが、そこまでの大怪我をまさか自分が経験するなんて思ってもみなかった。
めちゃくちゃ悔しかったけど、まだ1年生だから先があると切り替え、手術と長いリハビリ生活を受け入れた。
リハビリ期間は、同期のみんなに置いて行かれないように、
誰よりも同期や先輩たち、NCAAの動画を見漁って、GやDFのインプット量を増やしてみたり、
基礎技術で離されないようにできる限りのコソ練に励んだ。
その甲斐あって、1年間のリハビリから復帰してすぐの3年生の春頃には、
もう少しでAチームに絡めそうという所まで辿り着いた。
目標達成のために、勝負の年だと確信していたシーズンが始まり、
怪我で棒に振った1年間を取り返してやると誰よりも意気込み、練習に励んだ。
そんな最中に起きた、前十字靭帯の再断裂と半月板の再損傷。
復帰早々また長期間ラクロスがプレーできなくなる、と告げられた。
満ち溢れていたやる気はどこかへ消え去り、
目の前が真っ暗になり、どうしたら良いかわからなくなった。
みんなやチーム全体に迷惑をかけたくないから気丈に振舞ったりもしたが、
その現実を受け入れて、100%前を向くのにはかなりの時間を要した。
月並みな言葉になってしまうが、人生で一番辛く、苦しい期間だった。
自分がプレーできない間、
AやBで当然のように主力として活躍し、
どんどん上手くなっていく同期や後輩たちを見て、
不安で押し潰されてしまいそうになった。
自分のプレーしないチームが練習試合や公式戦で勝ち進む姿を見ていると、
自分が不必要な存在だ
と誰かに思われているのではないかと気にしたこともあった。
その期間、プレイヤーとしてではなく、一人の部員として、この先自分はどうするべきか、何度も悩み考えた。
それでも、自分の中に「選手として全日優勝に貢献したい」という絶対に譲れない思いがあった。
ただのエゴだったのかもしれないが、
それが自分にとって前に進むモチベーションになり、
絶対に諦めないと思う原動力になった。
今考えれば根拠などは何もないが、
「怪我を治せば、まだ1年あって、絶対にそこで取り返せる」
と、絶望の淵にいた自分自身に何度も言い聞かせ、無理やり奮い立たせた。
それからは、何か自分が掲げた目標達成のためになるのではないかと、
リハビリの傍ら、BでGリーダーを務め、DFのコーチみたいなこともやってみた。
二度と怪我しないで、かつ目指すプレーを全力で発揮できるような身体づくりにも惜しみなく時間を費やした。
全てはみんなと全日本選手権を優勝するために。
迎えたラストシーズン、ここでもほとんど上手くはいかなかった。
キックオフから何とかAに入ったものの、
現実は厳しくて、ずっと頑張ってきた亀岡との差は大きく、
少しだけ出られた六大戦ではミスを連発。
二度の骨折の影響で、最後の早慶戦もリーグ戦も間に合わず、
あっという間に、自分がずっと目標にしてきた「全日本選手権優勝」の実現は不可能なものになってしまった。
それからは、BチームでBリーグ日本一を目指してプレーするようになった。
このブログのために自分の4年間を回想し、ここまでまとめてきたが、
自分でも驚くほどに、夢見た、思い描いていたラクロス人生とは程遠い。
怪我が多く、上手くいかないことの連続。
キツくて、辛くて、苦しいラクロス人生だった。
その中で、後輩たちに、自身の経験からそこを乗り越えて、成長した的な革新的な術や考え方でも伝えられれば良かったのだが、
自分には、根拠もなしに、「何とか復帰して活躍したい」「自分ならできる」と持ち前のやる気とパッションで後ろ向きになる気持ちを押し殺して、がむしゃらにやってきた経験しかない。
特別なことは伝えられなくて申し訳ないが、後輩たちには、2年と2ヵ月という長い期間プレーができなくても、
必死に考えて、絶対に諦めずに努力を続けたことである程度の所までは取り返すことができた。
あと少し足りなかったのは、恐らくどこかで自分に甘い部分があったからだろう。
自分と似たような境遇でラクロス生活が上手くいっていないなと感じている部員たちは特に、
すぐに言い訳を探して、自分の中にある夢や目標から簡単に逃げたり、諦めるのではなく、今からでも遅くはないから本気で足掻いてみて欲しい。
目標には達することはできなかったが、今は前を向いてここまで取り組んできて本当に良かったと心の底から思っている。
話は少し変わるが、Aチームが武蔵に負けて、先に進めなくなってしまった後、
自分はBの4年生として何をすべきか真剣に悩んだ時期があった。
それまでずっと、自分の役割は、Aの戦力として全日優勝に貢献して、歴史を変えることだと思い続けていたから、
この部活にどう貢献したら良いかが分からなくなってしまった。
そんな時に、ある人がこんな事を言ってきた。
「早稲田の凄さは結果もそうだけど、一番は毎年結果を残せるほどの強さや強い人を残してきたこと」だと。
ハッとしたのと同時に確かにそうだと思った。
平野組には、過去の先輩たちに引けを取らない強さがあると思っていたが、
今思えば、それは丸田組、青木組、後藤組やそのもっと前の先輩方が脈々と伝統を繋いで下さったからこそあるものなのだと気が付いた。
それが分かった途端、自分が引退するまでにすべき事は1つしかないと思った。
それは、“未来の早稲田のために、後輩たちのために強い早稲田の伝統を繋ぐこと”だ。
この部活に関わった人なら誰でも知っている一つの言葉がある。
「伝統は勝つことで創られる」
どんな試合、どんな相手でも早稲田ラクロス部である以上負けることは許されないという理念。
とてつもない重圧が伴うが、他大では有り得ないこの理念こそが早稲田の強さを生む一つの要因だと、この4年間で感じ取ってきた。
特に自分たちの代は、勝つこと、勝ち続けることの難しさも知った代でもある。
そんな酸いも甘いも噛み分けた学年だからこそ、
自分たちで引っ張って、この言葉を体現したいと自分は思う。
そして、そこに付いてきてくれた後輩たちが優勝を経験することで
その伝統は更に繋がり、
未来の早稲田ラクロスにもその伝統が引き継がれていくはずだ。
だから、可愛い後輩たちのこれからのためにも、未来の早稲田が強くあるためにも、
あと2つ勝って、今年は絶対に日本一にならなければならない。
そのために、自分は最後まで声を張り上げ、泥臭く、死にものぐるいで、Bの守護神としてゴールを死守する。
だから、Bのみんなもそれぞれのポジションで、自分の役割を全力で全うしよう。
全員の本気を結集させれば、絶対に優勝できることを知っているから。
最後に、自分を1番近くで支えてくれた人への気持ちを述べて自分のブログを締めとしたいと思う。
お父さんとお母さんへ。
感謝の気持ちは、日本一になって直接たくさん伝えたいからここではちょっとだけ。
何度も心が折れそうになった自分を1番近くで毎日支えてくれて、本当にありがとうございました。
そして、ほとんど試合にも出れず、心配ばかりをかけた4年間で本当にごめんなさい。
それでも今は大好きなチームメイトたちと本気でラクロスが出来るのが本当に楽しいです。
ラクロス部に入って本当に良かった。
現役生活も残り2試合だけど、怪我でプレー出来なかった悔しい期間の気持ちを込めて、楽しんで、全力でプレーして日本一になってきます!
最後まで1番近くで、見守っていて下さい。
辛く、苦しかったラクロス人生。
でも最後の最後に、日本一になるチャンスが回ってきた。
終わり良ければ総て良しってやつだ。
あと2つ。
絶対に勝って日本一になろう。
覇者は早稲田しか似合わない。
GRIT
G #44 小林鷹人