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2019

〜巧より強たれ〜『九州育ち早稲田経由〇〇〇行き』中山巧



「たくみーる」、「みーるさん」、「みーる」



私のこの早稲田ラクロス部内での呼ばれ方で18年間一度も言われたことのなかった現在のあだ名である。






日本列島の極西の田舎で育ち、大学に入学するのと同時にスマホを買ってもらった世間知らずの私は、東京に山ノ手線しかないと信じていた。




乗り換えスキルなどあるはずもなくB チームの試合会場の集合時間に1時間半くらい遅刻した。自分たちの代の遅刻1号である。




初遅刻メーリスで、自分にとって新しいスマホでの初めてのメールだった。




緊張したし、興奮したのを今でも覚えている。




そんなメールデビューの結果は誤送、つたない文章を部内全員に一斉送信。




最悪だったのは、世間勉強のために参加したカラフルな名前のテニスサークルのギャルお姉さんに勝手に「たくみーる」と登録されていたことだ。(あのお姉さんセンスあるな、元気してるかな)

    





ここまで読んでくれた人たちありがとう。飛ばしてもよかったのに。ここからが本題なのでちゃんと読んでね。









こんな最悪な感じでスタートしたラクロス生活も残りわずかなものとなっている。




多くてもあと三試合。




引退の日は1秒1秒と近づいてきている。




みんなと過ごす何気ない日常が終わってしまうと考えると正直さみしい。







入部を決めたときの自分たちの代は、元甲子園球児、春高バレー、国体、ジュニアオリンピックスイマーなど多くの種目で全国大会を経験した選手が集まり、それ以外にも身体能力が高く、頑張れば絶対日本一なれると希望に満ち溢れたことをなんとなく覚えている。






しかし振り返ってみると正直、1年生、2年生の時は日本一やチームのことを自分事にできていなかったし、ラクロスもこの組織もめちゃ嫌いだった。




朝は早いし、練習は長すぎたり、短すぎたり。




下のチームに所属していたので限られた場所で大人数での練習。




ロングの先輩は痛いし、怖いし、ファールの基準はわからないし、、




毎年のようにルールは変わるし、コートの大きさも試合時間も変わる。




ボールを失いそうになったらタイムアウトをとれるスポーツなんて聞いたこともない。




防具は多くて、すぐ臭くなるのにぜんぜん守ってくれない。




クロスも電車でおじさんに嫌がられるし、もう最悪だ。




どう考えても意図の分からない練習、効率の悪い練習、長いミーティング、慣れない東京での寮生活。




そこにモチベーションや希望というものはなく真っ暗で永遠に続く暗いトンネルのなかを歩いているような感覚だった。







友達が留学に行って言語をマスターしていたり、




バイトして稼いで飲んで騒いでブランド品を買い漁っていたり、




インターンに行きまくって就活の準備をはじめていたり、




リュックひとつで世界を回ってたりするのをSNSでみて羨ましく思うのと同時に、




自分の過ごしている時間がなんの色もついてないような気がして自己嫌悪にもなった。







普通の人ならここらへんで変わる瞬間である。ここから上がって終わるのが巧より強たれの必勝パターンである。






しかし、私は「早稲田だし、社会人になったらそんなやつらごぼう抜きだ、人生充実させることができる、世の中の役に立てる」と「社会人になったら~」という謎の理論で武装し、週末の日曜夜のコンパを原動力にそれからの日々も過ごしていた。






なんと弱い人間であろうか。








そんな自分を変える出来事が2つあった。






●一つは授業で出会ったある体育会主将の先輩の言葉、





「今ある環境でベストでやれてないやつが、将来社会に出て活躍できるはずがない」




という言葉。





楽観的で未来志向だった自分にとって後頭部を殴られたような衝撃だった。




のちのメンタル講習でも「今、ここ、自分」という同じようなワードと出逢い、自分の生き方、マインドを変えてくれた。








●もう一つは母の病気である。





小学校から片親だった私は母に無理を言って、早稲田大学に通わせてもらっている。




そんな母が病気になり、働けなくなったのを知り年末に帰省すると明らかに弱っているのが見てとれた。






ラクロス部に所属していると、決して安くはないお金が必要になる。




部費、道具代、遠征費、合宿費などに学費や日々の生活費もある。




学生時代は貴重な時間だからとバイトもろくにやらずにそのお金を一人で捻出してくれている母に向ける顔がなかった。






毎日を懸命に生きようと思った。









そこからラクロスや人生に対する向き合い方が変わった。




すぐにラクロスと完全な両想いとなるには至らなかったが、少しずつ距離を縮めていった。







あれだけ意味のないと思ってた練習に自分なりに意味付けして練習するようになった。




ほかの人と差をつけようとよさそうなトレーニングはすべて取り入れた。コソ練だ。




それもただの壁当てというよりオリジナリティあるものを追及していった。





野球部の友達にスイングの仕方を質問したり、競走部の友達に走り方や身体の使い方を教えてもらった。




サッカーからオフボールを学ぼうともした。




動体視力を鍛えるため、視野を広げるために眼トレもした。(これはあんま意味なかった)







少しずつだが評価され3年時にはAにも上がることができた。




そして自分なりにラクロスの本質はこうであり真の面白さなんではないかというものが見つかった。





「駆け引きして思考して相手の判断を上回るその繰り返し」





これができればオフェンスはゴールが奪えるし、ディフェンスなら相手のボールを奪える。




そのためには日々の練習が必要だし、イメージを共有することが大切だ。




私はこれに気づいてラクロスが楽しくなったし、前向きに取り組めるようになった。









よく先輩にラクロス好きになれ、どうせやるなら楽しめなどといわれてきたが私にはピンとこなかった。






小学校からやっているスポーツならわかるが大学からはじめる人がほとんどのこのスポーツを簡単に好きになることは難しいと思うしやってみてからはじめて合う、合わないが分かると俺は思う。




偽りの気持ちで無理して取り組んでもきっと限界がくる。







だからこそ、もし今悩んでいるような人がいたらラクロスの本質を考えて好きな部分を自分なりに探してみてほしい。





きっと今より楽しくなるから。






もうキーボードを打つ手も頭も限界である。









最後に





多くの人に支えられて大学生活を送ってこれた。




特に他部活の友達の活躍は刺激になりました。




寮のみんながいたから乗り越えれたこともいっぱいある。




関わってくれた人たちみんなにありがとうと伝えたい。







この4年間で自分と向き合う時間が圧倒的に増えた。





地元を飛び出したからこそ得られたことや仲間がたくさんできた。





この早稲田ラクロスを選んだ選択は間違いでなかったし成長することができた。





次のステージでもここで学んだことを糧にして生きていきたい。









「今年は去年と比べて~、去年は強かったけど~、今年の早稲田ならわんちゃん~」




と散々周りに言われたおれたちが関東を制してついにここまできた。







Aチームはシーズン序盤に負けが込んで、コーチたちに散々自分たちと向き合わされたよな。




下級生も大変だったと思う。






特に幹部として引っ張ってきた同期は大変だったと思う。




おれにはわからないような大きな重圧があったと思う。




ありがとう。










ここにきて、Bチームも優勝しwaveが少しずつ大きくなっているのを感じる。




全チーム優勝という可能性に挑戦できるのはおれたちだけだ。









さぁ明後日は生まれ育った九州で試合ができる。







自分が一番九州男児の粘り強さはわかっている。相手をリスペクトして圧倒しよう。







そして試合を見にきた九州の高校生に早稲田ラクロスにあこがれて早稲田に入学しましたって言わせるような試合をしよう。







そして最後に社会人に勝って、自分たちがどこのチームより正しい方向で一番努力してきたことを証明しよう。







二人の青木はきっとおれたちを導いてくれるから。












WAVE




AT (#33) 中山巧



WRITER:中山巧
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