全日本選手権準決勝まで1週間を切り、特別企画として対談を行いました。
長くなりますが、どうぞご覧下さい。
ラクロス部在籍中(大学2年夏〜3年夏)にアメリカへ留学、留学先でもラクロス部に所属。
現在Aチームで活躍する2人にお話を聞きました。
インタビュアーを務めますのは髙西理紗子(4年・MG)です。
1枚目写真左:尾花一輝(4年・国際教養学部・AT)
留学先:University of Washington、以下UW(ワシントン州シアトル)
1枚目写真右:森松達(4年・国際教養学部・MF)
留学先:University of California, Berkeley、以下UCB(カリフォルニア州アラメダ郡)
関東学生リーグFINAL4(慶應戦)、FINAL(東大戦)の16得点中、二人で8得点(各4得点)を取るなど、早稲田オフェンスの中心選手です。
二人は1年間の交換留学が義務付けられている国際教養学部に所属。2年時の夏から1年間アメリカに留学し、現地大学のラクロスチームに所属していました。
—引退まで1か月となった今(11/21)、貴重な2人の経験を記録に残したいと思い、対談を組みました。
本日は宜しくお願いします。
森松・尾花:宜しくお願いします。
−尾花君は早稲田実業学校高等部出身の内部生です。留学が必須の国際教養学部を選び、ラクロス部に入学したのはなぜですか?
尾花:もともと高校でサッカーをやっていたのですが、体育会でやる実力はありませんでした。大学で何をしたいか考えた時に留学したいと思い、留学が義務付けられている本学部を選びました。いざ入学して色々サークルを回る中で、どこか物足りなさを感じ、体育会に入りたいと思いました。留学がネックとなる中で、ラクロス部には留学を経ても活躍されている先輩、山口俊さん(2016年卒・AT)がいたので入部を決めました。
—森松君はいかがですか?
森松:入学時は大学4年間で勉学やいわゆる“意識高い”活動に専念しようと思っていました。しかし、スポーツなき四年間を過ごすことには大きな違和感がありました。ラクロス部入部を決めたのは、また真剣にスポーツがしたいと思ったこと、新歓で山口俊さんに出会ったこと、が大きいです。
—お二人にとって山口俊さんは偉大なんですね。
尾花:はい。結局僕は俊さんと同じ留学先を選びましたし、同じポジションの先輩としても尊敬しています。
森松:僕にとっては入部の決め手となった方です。留学してもOFリーダーとして活躍されている姿に憧れて入部を決めました。遅めの時期に行った練習体験時に、俊さんはパスからグラウンドボールの拾い方までつきっきりで教えてくれました。
尾花:僕らのロールモデルだよね。
森松:留学はディスアドバンテージではなくアドバンテージだという話をしてもらい、留学をしても活躍することができる可能性を感じました。部活動と勉学の両立ができるのか不安であった僕にとっては大きく背中を押す言葉でした。俊さん引退時に受け継いだ背番号#13は今でもつけています。
尾花:いいなあ。
—留学先はどうやって選んだのですか?
森松:元々アカデミックにトップクラスの人たちと一緒に授業を受けたいという思いがありました。世界的に名の知れた大学であり、ラクロスもできる、という観点からカリフォルニア大学バークレー校を選びました。
尾花:俊さんが好きすぎて、俊さんの留学先であるワシントン大学を選びました。
—日本にいるときから連絡を取っていましたか?
尾花:はい。コーチなどが俊さんのことを知っていたので、大丈夫だとは思いましたが、やりとりが頻繁にではなかったので少し不安はありました。
森松:そもそも留学先を決める時点で、候補校のヘッドコーチに片っ端からメールをし、脈がありそうなところだけ応募しました。バークレーのコーチは10分以内に返信をくれて、すごく親切に対応してくれたので第一志望に決めました。
—入部できるかは決まっていましたか?
森松:いいえ。向こうでトライアウトがあると聞いた時は、正直不安でした。ただ、留学行くまでに上手くなるしかないと思い、それをモチベーションに頑張りました。
尾花:確かに連絡を取っているとはいえ、向こうでラクロスをできる保証もなかったので、それまでに上手くなるというモチベーションは大きかったです。特にオフ期間の時とか。
—トライアウトはどうでしたか?
森松:トライアウトは新入生と一緒に全体練習に参加するものでした。結果としては、パッションとやる気を評価されて入部することができました。
—落ちた人もいるのですか?
森松:いました。部員を50人くらいに収めたいという方針があったみたいです。ポジション変更させられる人もいて。日本ではDMFとして試合に出場していましたが、留学先ではOF力を強化したいと思い、OMFとして入部を希望しました。
—UWは全体で何人くらいのチームですか?
尾花:僕がいた時は30人くらい。代によって人が多かったり少なかったりしました。日本同様にATを希望しました。
—留学先を決めてから、どのように向こうのチームに入りましたか?
尾花:向こうのチームの全体ミーティング(こっちでいうキックオフミーティングのようなもの)で全部員と顔合わせをして、その後コーチから連絡が来ました。トライアウトはあると言われていましたが、実力関係なくしっかり練習参加すれば入部は認められました。
—向こうでの生活をざっくり教えてください。
尾花:練習は平日に3日と、土日は試合があったり、なかったり。一回の練習時間は2時間と決まっていました。
森松:同じです。オフシーズンはフィジカル練(クロスを使わないトレーニング)が週に一回ありました。
—住んでいたのは寮ですか?
森松:普通の国際寮です。住むところは早稲田大学が大方やってくれました。
尾花:同じです。
—部費はどんな感じでしたか?
森松:年で一括30万。遠征費や防具代が全て含まれています。
尾花:僕もそんな感じです。
—向こうで苦労したことを教えてください。
尾花:春のシーズン(1月〜)が始まるとメンバーも固定してきて、2時間の練習の実践メニュー(6on6)はスタメンの人が出るので、アピールする場が少なかったのは苦労しました。拮抗した試合はまず出られませんでしたし、出たとしても勝負がついた時や怪我人が出た時でした。
—その頃はどんなことを考えていたのですか?
尾花:数少ないアピールの場で、監督に使ってもらえるようなプレーをすることを常に考えていました。試合前の4-3カナディや3-3グラボ等、プレーできるときに出し切るのを意識していました。試合に出られない分、試合前アップで全部出し切る。そうすると監督はそういうガッツやパッションを評価してくれて、後々スタメンで出してくれたり、拮抗した試合(FINAL4のような試合)でも使ってくれたりしました。
※UWでプレーする尾花選手
—森松君は?
森松:僕も出場機会です。10人程いるOMFのうち、試合に出られるのは6枚目くらいまで。僕は5枚目〜8枚目だったので熾烈な争いがありました。正直、1〜4枚目の選手は次元が違ったので、どうやって5枚目に食い込めるかを常に考えていました。
—具体的にどんなことをことしたんですか?
尾花:壁当てでしょ!(笑)※「巧より強たれ」参照
森松:もちろん。(笑)尾花も言いましたが、コーチにどれだけ自分が真剣にラクロスに取り組んでいるかを知ってもらうのはすごく大事な要素だと感じました。また毎練習への準備を徹底しました。一つのミスが命取りになる状況だったので、時間に余裕を持ってグラウンドインし、シュート練習をしていました。
—向こうのコーチはラクロス以外の面も重視していましたか?
森松:UCBのCoach Websterはラクロス、勉強、遊びのバランスを大事にしていました。特に向こうの大学では成績がすごく大事なので、勉学に割く時間が日本と比べ圧倒的に多かったです。チーム全員で遠出して遊んだりもしました。
—何を勉強していたのですか?
森松:政治学です。
尾花:僕は国際関係です。UWのコーチ、通称J.C.はペンギンの研究をしている大学の教授だったので、勉強はしっかりさせられました。特に春シーズンは12クレジット(日本の大学でいう16単位くらい)取っていないと試合への出場資格を失うので口酸っぱく言われました。そんな厳しいコーチでしたが、練習外でも選手と親しくしていました。僕も練習後、車で寮まで送ってもらったこともありました。
—英語の面で、勉強やコミュニケーションで苦労はしませんでしたか?
尾花:コミュニケーションにおいて苦労はありませんでしたが、リーディング(課題)の量が半端なく多かったです。
森松:同じくです。またプレイブックを覚えてプレー中にコールしたり聞き取ったりするのが大変でした。
—プレイブックとはなんですか?
森松:OF,DF共にある決め事が表記されたものです。OFはシチュエーション別のセットプレー集がありました。UCBではほとんどのOFが緩めのセットプレーのような感じだったので、覚える量は多かったです。
—では話題を変えて、日本と比べて海外の選手の生活面で違うところを教えてください。
尾花:勉強への意識。
森松:間違いないですね。
尾花:GPAによってメジャー(専攻)に専攻できるか決まってくるので。
森松:あと、ON/OFFの切り替えです。遊ぶ時はすごい遊びます。
—プレイ面での違いはどうですか?
森松:サイズと経験値。
尾花:それに尽きます。
森松:チームの平均身長は180cmを超えており、僕はチームで最も小柄な部類でした。
尾花:僕もです。
森松:経験値に関しては、経験年数が10年以上の人がほとんどで、クロスの扱いにすごく慣れていましたね。
尾花:サイズが自分と同じ選手はめちゃめちゃ速かったり切れたりと、サイズをカバーできる何かしらの強みを持っていました。
—その中で日本から来た強みはありましたか?
尾花:自分は1on1に自信がありました。アメリカでも練習の1on1だと意外と抜けたりしました。ただ試合形式になると他の要素(パスキャや状況判断)に自信がなく、その分1on1も上手くかけられず思うように行きませんでした。当時はパス来るのも嫌でした。(笑)そういう積み重ねで自分の強みはなんなのかを改めて考えさせられました。
森松:日本にいた時はフィジカル面が強みだと思っていましたが、サイズが違う相手に対しては勝負になりませんでした。そのため、スピードやダッジの切れで勝負していました。
また日本にいた時はシュートが苦手だったのですが、グラウンドが寮から徒歩2分であったこと、いつでも使えたこと、を利用し、留学中にシュートを武器にしようと思いました。
(https://www.youtube.com/watch?v=Uu4AAMIGTh8 UCBの試合ハイライト。背番号20, 森松選手のリーグ戦初得点にも注目です!)
※UCBでプレーする森松選手
—向こうの上手い選手たちも自主練をたくさんしていましたか?
森松:人によります。チームキャプテンで、MCLAリーグ(Men’s Collegiate Lacrosse Association)得点王だったMaxはシュート練や壁当てをたくさんしていて、自分も一緒にしていました。とても刺激をもらいましたね。
尾花:人によりますね。僕はゴーリーのやつと仲良かったので、誘ってシュート練をしていました。彼も結構練習熱心だったので誘ったら必ず来てくれました。
森松:誘ったら来てくれる選手は多かったですね。
尾花:筋トレをする選手も多かったです。ビジュアル重視。
—尾花君は自主練どうしていたのですか?
尾花:シュートを打てるグラウンドが空いていなかったので、基本的に壁当てとウェイトを毎日やっていました。
—留学を経て自分が変わったと思うところはありますか?
森松:頭を使ってプレイするようになったのが一番だと思います。接点で必ずしも勝てるわけではない中で、相手を予測で一歩上回る癖が付きました。
尾花:僕は理想のAT像ができたような気がします。Drew Sniderコーチ(Denver Outlaws所属。西海岸出身の選手として初めてUSA代表に選出。2018年W杯出場)にATは一番スキルがないとダメだ、と言われたことはATとして意識が変わるきっかけでした。また、色んなことが気にならなくなりました。試合に出られなかったりミスしたりするのはまだ下手なだけ。もっと練習して上手くなればいいや、とプラスに考えるようになりました。これは大きく変わったことだと思います。
—留学中、二人は対戦することはありましたか?
尾花:公式戦で一回だけあります!
森松:UCLA(University of California, Los Angeles)でね!
尾花:僕がライド中、達がフライゾーンから入ってきて目が合い、「よっ。」ってなったのを覚えています。(笑)
森松:連絡は頻繁に取っていたので、会うのはかなり楽しみにしていました。
※公式戦で対戦した時の写真。(2017/02)
—何月のことですか?
尾花:2月、半年ぶりの再会でした。
森松:試合後に少し話したけど、チームの動きが別であまり時間はなかったですね。
—試合でのお互いの印象はどうでしたか?
尾花:「上手くなった!」と思いました。その試合では達が2アシストしていて、動きも違ったから「おおうめえ」と思いました。
森松:僕も同じです。
(一同笑い)
—ちなみにどちらが勝ったのですか?
森松:僕たちです。
尾花:Calは強かったです。
森松:その年は19年ぶりにMCLAリーグのベスト4まで進んだ代だったので、かなり強い代だったと思います。
—そんな代に入れて幸せでしたね。
森松:本当に幸運でした。
尾花:CalはMFが強い大学として有名なので、良いチームに入ったなと思い、羨ましかったです。
森松:羨ましいと言えば、Drew Sniderがコーチにいることは羨ましかったですね。世界トップクラスのMFなので。UCBのコーチ陣もNotre Dame、 Hopkins等の強豪校出身で、指導のレベルはかなり高かったとは思いますが、Drew Sniderには一回指導されてみたかったです。(笑)
-留学中、頻繁に連絡を取り合っていたようですね。
尾花:4月くらいに一回電話した時は、結構長電話で。男とあんな長電話したのは初めてでした。(笑)僕はシーズンがほぼ終わっていて、達は勝ち残っている状況でした。
森松:僕はその時あまり上手くいっておらず、精神的にきつかったんですけど、電話で救われた覚えがあります。
—何を話したのですか?
尾花:試合に出られないもどかしさとかそういう話です。内容は鮮明に覚えていないですけど、僕も救われたのは覚えています。
—二人の絆は強いんですね。
尾花:まあまあですね。
森松:強いだろ!(笑)
—帰国してから早稲田に対して感じたこと、自分たちから変えたいと思ったところはありますか?
尾花:みんなに部活動以外の時間でもっと練習してほしいと思いました。FALCONSとの対戦を想像した時に、僕たちとFALの差って、海外で外国人選手に対して感じた差と似ているのかな、と思いました。サイズはある程度仕方ないとしても、経験値として圧倒的に練習量が足りてないと思ったので、変えないといけないと思いました。
森松:それはすごく思いました。4年間という限られた時間で日本トップクラスと渡り合わなくてはならないので。実際に僕たち二人で、壁当てLINEなるものを作って、チームとして壁当てを習慣化するきっかけづくりをしました。
—壁当てLINEとはどのようなものですか?
森松:壁とクロスの写真を貼って、壁当てした日を報告していくLINEグループです。お互いに刺激しあって、ある意味監視し合うという意味でBig Brotherと名付けました。(笑)すごく楽しいLINEグループでしたね。
—効果はあったと思いますか?
森松:壁当てをするのが当たり前、という文化ができたのはすごく大きいと思います。クロスを扱う能力が低くては話にならないスポーツなので。
—今では1年生も当たり前にしてますよね。
尾花:おかげでゼキ(石関航平:4年・DF)も壁当てするようになりましたね。
(一同笑い)
—留学先のチームメイトと今でも交流はありますか?
森松:エースの一人でありMaxの相棒、ATのNick Sheehanは来日時、早稲田の練習に来ましたね。
尾花:Nickランシューうまかったな…。
森松:あと、インスタで試合の告知載せるたびに、炎の絵文字とか”Let’s go”とか送ってきます。(笑)海外遠征時にはボルティモア出身の選手に色々聞いていましたし、海外遠征のHopkins戦ではその選手の両親も応援に来てくれました。
尾花:早稲田のインスタの試合結果は見てくれていて、メッセージをくれます。
—それは嬉しいですね。
尾花:嬉しいです。
森松:本当に良い人多いですね、ラクロスコミュニティ。
—今年早稲田は初めて海外遠征の試みをしましたが、来年以降また行くとしたら後輩に意識してほしいことはありますか?
森松:今は海外のプレー動画とか簡単に観られますが、実際に対戦して肌で感じることがたくさんあるので、その機会を無駄にしないでほしいと思います。
尾花:海外のトップクラスの選手がどんなことを考えているか聞ける機会なので積極的に聞いてほしいです。
—今年の早稲田はチーム内で「ブランディング」を掲げており、海外から見て日本を代表するチームになることも目指しています。海外にて体感したラクロスというスポーツ、日本のラクロスはどのようなものでしたか?
尾花:日本でラクロスがあること自体知らない人が多いですよね。アメリカでさえもラクロスはそんなにまだ他のスポーツと比べればメジャーじゃないけど。
森松:ラクロス界は国籍や人種が違ってもBrotherhood、仲間意識、コミュニティ意識が強いので、バックグラウンドの違う人たちが親密になるには最適なツールだと思いました。実際、ラクロスのおかげで多くの人と親密になれましたし、充実した留学生活を送ることができました。
日本のラクロスはアメリカで認知度が高いわけではありません。しかし、多くの人が大学から始め、短いスパンで上達している事に対して、かなりのリスペクトの念を感じました。
—日本の未来のラクロッサーに向けて何かありますか?
尾花:留学で改めてラクロスはすごいお金がかかるスポーツだなっていうのを思いました。年間で30万近くかかるのもそうですが、シャフトやヘッド、メッシュなどでもお金がかかりますよね。あと、日本だとほとんどが早朝練、始発に乗って練習行くのが当たり前です。だからもっと頑張れるなっていうのは思いました。人それぞれだとは思いますが、せっかく高いお金払って辛い生活するならもっとラクロスに捧げていいんじゃないかって思います。それが結果的に日本のラクロス全体の競技レベルや認知度の向上に繋がればいいかなと思います。
森松:尾花と同じです。本気で打ち込んで欲しいと思います。多くの人が初心者としてはじめるスポーツですが、大学は4年間しかありません。中途半端にやるのは勿体無いと思います。打ち込めば打ち込むだけ面白い競技だと思うので。
—では、最後に一言お願いします。
森松:留学をさせてくれた両親、受け入れてくれたCalと早稲田のチームメイト、コーチの方々に感謝します。またラクロスというスポーツに出会えたことを本当に嬉しく思います。
尾花:留学があったおかげで様々な面で変われたと思います。その留学を可能にしてくれた家族や早稲田ラクロス部のみんなには本当に感謝しています。残り少ないですが最後まで攻め続けます!
—貴重なお話、ありがとうございました。日本での更なるラクロスの発展、日本のラクロスといえば”Waseda”と言われるような日が来ることを願っています。