小学校のころから提出物はギリギリに仕上げる人間だったが
相変わらず提出期限ギリギリに巧より強たれを書いている。
全く成長していない。
よく、なにかエピソードがあると「強たれ行きだな」と真が言っていたのを思い出すが、いざ、書こうとすると、難しい。
後輩に伝える含蓄のある言葉もなかなかない。
これまでを振り返ると
4年間の中で、特に印象に残っている場面、言葉があると気づいた。
嬉しいもの少なめ悔しいもの多めだが、関わってくれた人に感謝して、思い出しながら書くことに決めた。
サマーで負けたまさにその翌日のミーティングに寝坊した。
主将の秋山さんに謝りに行くと、目も合わせてくれず自転車に乗りながら
「やめてええで」
と言われた。
「俺らは本気で日本一を目指してる。絶対勝たなきゃいけない試合に負けた翌日に寝坊するなんてありえない。やめていい。むしろやめたほうがいい。」
信じられないくらい怖くてびっくりしたけど、
軽い気持ちで練習していた自分にとって、その言葉一つ一つが、今も鮮明に思い出せるほど大きくて、
自分を変える一言だった。
それまで、なんとなくβにいた気がする。
βからαに上がっていく選手は、まるで優良品が出荷されるようで、自分は不良品だと思った。
丸田のリハ明け一発目の練習。
あいつが一番ショットが速かった。
なんと理不尽なスポーツなのか。
スタートラインが一緒とは何だったのか。
「お前すごいな」
の一言の裏には諦めも入っていたかもしれない。
でもそれはただ努力していないだけだった。秋山さんの言葉を聞いて痛感した。
さらに言うと、たぶん丸田は誰よりも努力していたと今になって思う。
うまいやつの存在を言い訳にして逃げていた。
楽だから。
一度本気でやってみよう。9月にしてやっとそう心から思った。
ましもさんに動画を送ってパスフォームや持ち替えのフォームを見てもらう。(本当にありがとうございました。)
兄に公園でパスフォームを確認してもらう。(ありがとう。)
壁当て場で会った明治の先輩と公園でパスキャをする。(ありがとうございました。)
同期の壁当てラインでも上位に入れるように頑張った。(丸田はずっと一位だった)
それだけ?と思う人もいるかもしれないが、ここは、頑張ったと言わせてほしい。
すると、一年の秋の合宿中
浩平に「パスキャ上手くなってね?」
と褒められた。これも鮮明に覚えてる。
今考えるとめちゃめちゃ上からだけど、本当に嬉しかった。
努力が実を結ぶことがこんなにも嬉しいのか。
やっとラクロスが楽しいと思えた。
しかし、ここからの三年間は、期待に応えられない三年間だった。
まずウインターとあすなろ。
特に奥さんは、自分を気にかけてずっと期待してくれて、声をかけて下さりました。
期待してくれる人がいることが常に努力の原動力となり、腐らずに頑張れました。
本当にありがとうございます。
でも、試合では活躍できず
あすなろに至っては
自信のなさからけいすけと出番を譲り合うという、前代未聞の、ダチョウ倶楽部も驚くような行動をしてしまった。
情けなかった。けいすけごめん。
その後はBチームであんでぃさんをはじめ、多くの先輩からあまりにも多くの学びを得たにもかかわらず
試合では貢献できず敗退。
昨年はAチームに入れていただいた。
二年の冬、俊汰さんに
「来年期待してるから頼むぞ」
と言われたにも拘らず、全く期待に応えられなかった。
昨シーズン終盤はBチームで今シーズンもBチーム。
でも、Bチームでの練習が無駄になったわけではない。
これからの成長が楽しみな後輩ばかりで、少しでも力になりたくて、より、「考えて」プレーするようになった。
今更だったかもしれないけど、ここでも少し、変われたと思う。
Bチームのみんなが大好きで、
このままBで優勝を目指そうと本気で思ったこともあった。
でも今、またAで必要だと言ってくれる人がいる。
シーズン終盤。これもまた、ギリギリだけど、ギリギリ間に合った。
Bチームはおれがいなくなってから圧勝しかしていない。
複雑だけど心強い。
おれを育ててくれたBチームの分まで魂込めてプレーします。
お互い絶対優勝しよう。
コーチには、今も奥さんと秋山さんがいてくれている。
またとない恩返しの機会。
学習戦、やっとリーグ戦初得点を決めたけど
まだ足りない。
そして最後に、実は巧より強たれを読んでるらしい家族。
練習に付き合ってくれた兄貴、実家から何も言わずに応援してくれている両親、ありがとう。
最後の大会、死んだじいちゃんの分も頑張ってきます。
あんまり熱くなれない自分だけど
間違いなく、人生で一番勝ちたいと思う試合。
勝たないと意味がない。
「執念」で、勝とう。
「丸田組」で、勝とう。
真
MF #11 稲富創太