準硬式野球部を、怪我を理由に辞めた5月、ラクロス部に入部した。
ラクロス部に入部した理由は、皆が同じスタートラインから始められるということもあったが、
日本代表になってみたい、心の奥底にこんな野望も抱いていた。
そんな想いを胸に、ラクロス部に入部したが、
逃げと甘えの日々で、
日本代表とは無縁のものだった。
サマーではβで、αに負け、ウィンターでは怪我で出場することができずに終わった。
もちろん、負けた瞬間は悔しかったが、
「途中入部だからしょうがない」、「怪我だからしょうがない」
と自分の中で言い訳を作って逃げていた。
言い訳をしないと自分の中のモヤモヤが消えなかったから。
自分の負けを認めたくなかったから。
本気で自分と向き合うということは出来なかった。
2年生でBチームに上がることができたが、公式戦の出場機会はほぼゼロ。
ここでも「まだ2年生だからしょうがない」そんな風に思って逃げ、
全てを教えてくれる頼もしい先輩方に甘えていた。
Aチームで活躍する同期には目を瞑って。
そんな時、前十字靭帯断裂。全治1年。
怪我が隣り合わせのスポーツなのは、分かっていたが、
そこまでの大怪我を自分が経験するなんて思ってもみなかった。
目の前が真っ暗になり、どうしたら良いかわからなくなった。
みんなやチーム全体に迷惑をかけたくないし、そういうキャラでもないから気丈に振舞ったりもしたが、
夜、1人になると悔しさのあまり、
涙が溢れ出ることもあった。
2週間の入院期間、
今後部活を辞めるのか、コーチになるのか、選手を続けるのか、
真剣に悩んだ。
ここで浮かんできたのが、今まで逃げて甘えてきた自分の姿だった。
最後の学生スポーツ、本気で取り組める最後の機会、
こんなところで終わりたくない。
そんな想いから選手を続けることを決め、膝に負担の少ないG転向を決めた。
引退まで残り一年でのゴーリー転向。
無謀な挑戦かもしれないが、変な自信があった。
何よりも、嶋田さんや上條さんといったコーチの方々が真剣に指導してくださったり、
ジュニやジョーがオフの日にショット練に誘ってくれたりと、
誰一人見捨てることなく、応援してくれたことが本当に嬉しかった。
ゴーリーを始めて7ヶ月、運もあって、目標であったAチームに上がることができた。
4年目にして初めて入ることのできたAチームは、
全員がラクロスを本気で取り組みながらも、楽しみながらプレーしていたのが印象的だった。
そんな仲間と共にするラクロスは熱く、とても楽しい。
明日はリーグ戦最後の東大戦。
勝てばfinal4、負ければ引退…
と、ここまではAチームにいたときに出すはずだった「功より強たれ」。ここから先は再びBチームに落ちてからを書きたいと思います。
またやってしまった。
怪我だ。何回すれば気が済むのか。
「何が何でも再びAチームに上がって全学、全日に出場する。」
これだけを胸に、ほぼ毎日壁当てをし、本気で練習に取り組み、
Bリーグの法政戦、B final4の立教戦を戦った。
そんな中でのAチームの敗戦、引退。
目標、モチベーション、やりがい
そんなものをすべて奪われて、
絶望感、虚無感にかられた。
何のために練習するのか、何のために早起きするのか。
本当に分からなかった。練習に身が入らない日々。
別にこのまま引退してもいいとさえ思った。
この時はマネージャーにもひどい言葉をかけてしまって、ごめんなさい。
めちゃくちゃ反省しています。
こんな状況から救ってくれたのが、
Bの同期、後輩の存在だった。
ジョーと磯部は試合中にブレイキングダウン始めるし、
りゅうせいは引退してるのに毎日手伝いに来てくれるし、
みずきは永遠にヨガやってるし、
あぜは遅刻なのか、欠席なのか、武者なのかよく分からないし、
むーちゃんは関節ガバガバだし、
こーはクロスの目とかよく分からないこといってるし、
はせはずっとキレてるし、
松本はインキャすぎて、審判にタイムアウトも伝えられないし、
だいきは南アフリカから戻ってきたら急に大人になってるし、
2年生は言うこと聞かなくて生意気だし。
あんなに辛かったはずなのに、今振り返ると楽しかった思い出しか出てこない。
チーム全員に支えられた。みんなのことが大好きだ。
本当はみんなのこと一人一人書きたかったけど、文字数が大変なことになっちゃうから
また今度直接伝えます。
早く引退させろーとか言っていたのに、
みんなと練習することがもう無いと思うと急に寂しくなってくる。
日本一まで、
我らがリーダー磯部を胴上げするまで、
あと2つ。
俺らのゴールを、早稲田のゴールを死に物狂いで死守するから、
他は頼んだぞ。
俺たちなら絶対に成し遂げられる。
自分たちを信じて。
勝とう。
PUMP
G #18 平林勇樹